どうして、母を「うまちゃん」と呼称するようになったか、実はよく覚えていない。
子どもの頃はもちろん「お母さん」。大学生くらいに、使い分けしなくていいや、と「父」「母」と呼び始めたら、「「父」は、「火宅の人」みたいだからやめて」と、母からクレームがついた。「母」だけ残った。
前後して、母の勤め先で交換留学生が足りない、という話が持ち上がった。韓国の枠が埋まらない、誰かいないか、ということで、友人ふたりと穴埋めに参加した。ハングルで「母」は「オンマ」。「オンマー」とやっていたら、父がおもしろがった。「オンマちゃん」。
たぶんきっと、そんな流れだった気がする。
「あそこは親子というより、親友みたいだねー。ほんとに仲が良いねー」とケアマネージャーさんとヘルパーさんが話してた、という。
病気が発覚してから、昼間は特に、ずーっと一緒だった。
朝クルマで行って(近所からは出勤してると思われてた)、
お昼なに食べるー?なに作るー?とやって、
あちこち送りに行ったり迎えに行ったり遊びに行ったり、
とにかくもうもう、やたら一緒で
「もーしょうがないなー、うちのうまちゃん、世界一! だからさー」
「なら、うちのじょっちゃん、宇宙一! ほんとに、世話になってねえ」とじゃれてた。
最期まで、手をあげてグーパーの運動しようとがんばってました、と報告したら、
ケアマネージャーさんから、メールが届く。
‥‥
禎子さんも本当に良くがんばりました。
素晴らしい親子です。